百戦錬磨のワリードを唸らせた東ローマ帝国軍の勇敢さ

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≈西暦636年3月18日
ムスリムは、前日のハーリド・イブン・アル・ワリードの助言通りに軍を引き上げる振りをする。ハービーズは絶好の機会と捉え、5,000名の兵を招集し、砦の外へ出て、ムスリムの騎馬部隊を猛追した。軈てエメサから数マイルの所でムスリムに追い付き、打ち倒した。しかし、東ローマ帝国軍の主要部隊がムスリムに襲い掛かろうとした瞬間、突然向きを変え、猛烈な勢いで東ローマ帝国軍を攻撃した。ワリードが号令を掛けると、2つの騎馬部隊が東ローマ帝国軍の側面を駆け回り、後方から突撃した。ムスリムは着実に東ローマ帝国軍を追い詰め、四面楚歌の状態に追い込んだ。ワリードは、機動警備隊の精鋭戦士と共に東ローマ帝国軍の中央に到達し、戦闘中のハービーズを発見した。ワリードはハービーズの下へ向かったが、巨漢の将軍に阻まれた。しかし、ワリードは決闘の末これを破った。ハービーズは最終的に戦死した。ムスリムが、包囲している東ローマ帝国軍への攻撃を開始した時、マアズ・イブン・ジャバルは500騎を率い、逃走する東ローマ帝国軍が砦に入らない様にする為にエメサに駆け戻っていた。ジャバルの軍がエメサに近づくと、恐怖を感じた住民と追撃に参加しなかった東ローマ帝国軍の守備隊の残党は急いで砦に撤退し、門を閉めた。ジャバルは、東ローマ帝国兵が門から出てきたり、エメサの外の東ローマ帝国兵が侵入してくるのを防ぐ為に、門の前に兵を配置した。最終的に100名の東ローマ帝国兵が逃走した。ムスリムはエメサでの一連の軍事行動により235名の死者を出した。アブー・ウバイダは、地元住民の条件付きの降伏を受け入れ、1人当たり1ディナールのレートでジズヤを徴収した。

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