ヤルムークの戦い前夜

2 years ago

≈西暦636年5月
ムスリムが、北シリア全体の占領を意図し、ハマー(現在のシリア)を経由して、シャイザール(現在のシリアのハマー県)に到着する。ムスリムはここで、少数の兵士に護衛され、食糧をキンナスリーン(現在のシリアのアレッポ県)に運ぶ東ローマ帝国の船団を見つけ、ハーリド・イブン・アル・ワリードがこれを妨害し、捕縛した。尋問により、ヘラクレイオスの計画と、東ローマ帝国の大軍が陣を張っている場所を聞き出した。ワリードは軍議を開き、アブー・ウバイダに対し、パレスチナとシリア北中部から撤退し、ガッサーン朝の首都ジャビヤ(現在のシリアのダマスカス県)に兵力を集中させる事を指示した。ウバイダはガッサーン朝の襲撃を退け、ジャビヤを征圧した。これにより、ウマル・イブン・ハッターブからの援軍が合流し易くなり、ジャビヤ近郊の広大な平原に戦力を集中させる事が可能となった。また、撤退が必要となった際に、ナジュド(現在のサウジアラビア)の要塞に逃げ込み易いという利点があった。また、ジズヤを支払った人々へ返還を行う様、指示が下された。

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