贄柵にて奥州藤原氏滅亡

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西暦1,189年10月17日
河田次郎が陣ヶ岡に到着し、鎌倉幕府軍に藤原泰衡の首級を差し出す。以下2名は、囚われていた赤田次郎に首級を見せて、藤原に相違無い事を確認した。
①和田義盛
②畠山重忠
源頼朝は「泰衡は既にわが掌中に収まっている。何ぞ汝ごときの手を借りようや。汝は旧恩に背き、反逆を敢てするとは許し難い」と八虐の罪に値するとして、河田は斬罪に処された。また、西暦1,062年10月22日に源頼義が安倍貞任を梟首とした事に倣い、泰衡の首級は眉間に八寸の鉄釘を打ち付けられて柱に懸けられ梟首された。その後泰衡の首級は平泉に戻され、近親者の手により黒漆塗りの首桶に入れられて、以下の歴代の奥州藤原氏の当主と共に中尊寺金色堂(現在の岩手県西磐井郡平泉町)に納められた。
①藤原清衡
②藤原基衡
③藤原秀衡

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