隠岐国に配流された後鳥羽上皇の生活習慣

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西暦1,221年8月7日
乱の首謀者として斬首が確定した藤原範茂が、北条朝時によって鎌倉へ護送されている道中、足柄山(現在の神奈川県南足柄市・足柄下郡箱根町、静岡県駿東郡小山町に跨る金時山)にて、清川(現在の神奈川県南足柄市の貝沢川)での入水自殺を所望する。理由として、首と胴が離れて五体満足で無くなっては、極楽往生出来ないという点を挙げた。北条は此れを認め、藤原の着物の袂や懐に石を詰め込んだ。そして藤原は、以下の辞世の句を詠み、入水自殺した。
思いきや苔の下水堰き止めて月ならむ身の宿るべきとは
(思いもしなかった事だが、苔の下を流れる川水を堰き止めて、月でも無い我が身を宿す事になろうとは)

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