北条時房の公文所の焼亡は、泥棒の放火が疑われた

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西暦1,231年11月14日
雨の中、五大明王を祀る御堂の建設地が甘縄の、安達義景の屋敷の南で、千葉時胤の屋敷の北の西山の周辺に変更される。以下2名が現地を視察した。
①北条時房
②北条泰時
此の日は橘寺の開眼供養の日に当たる為、縁起が良く無いという事で、以下の陰陽師が占った。
①安倍泰貞
②安倍晴茂
③安倍長重
④安倍文元
彼らは、橘寺の開眼供養は西暦1,091年で、開眼供養と造作始めは全く別の事であり、忌むべき事では無いと答えた。しかし藤原長定は「辛未の日は縁起が悪いという話も有ります」と言った。此れに対し法橋円全は、以下の辛未の日に吉事が行われた例を挙げた。
①後一条天皇の西暦1,020年2月15日、興福寺阿弥陀堂の御塔を建てた。
②堀河天皇の西暦1,100年8月13日、春日大社で一切経を奉納する法要が有り、同日、日吉神社では大般若経の奉納が行われた。
③鳥羽天皇の西暦1,118年11月7日、熊野山の一切経の奉納が行われ、鳥羽天皇が御幸した。
④崇徳天皇の西暦1,136年4月6日、熊野山本宮の五重塔の開眼供養が行われた。
⑤後鳥羽天皇の西暦1,184年11月14日、後白河上皇の願として、蓮華王院三十三間堂で万部の経典四巻を読むお経の法要が行われた。

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