ムスリムによるメソポタミア侵攻

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西暦633年4月
カーズマの戦いで敗れたササン朝ペルシアのクバズとアノシャガンの部隊がカリンとアル・ウブッラで合流する。クバズとアノシャガンは生存者の中にササン朝ペルシアを裏切りムスリムに与した兵がいた事を伝えると、アル・ウブッラから去る者が現れた。これに慌てたカリンは以下2点の理由からアル・マダール(現在のイラクのワーシト県)で戦う事にした。
①ムスリムに寝返った兵はアル・マダールを知らないであろうと考えた。
②ユーフラテス川に近く、ササン朝ペルシアの正規軍が到着し易いであろうと考えた。
ハーリド・イブン・アル・ワリードはササン朝ペルシア軍がアル・マダールにいる事を把握し、アル・ムサンナ・イブン・ハリサ率いる分遣隊を送りこみ、自身もアル・マダールへ向かった。ワリードが到着した時、ササン朝ペルシアの船が川の端に到着しているのを見て、まだ戦闘準備が整っていない事を理解した。ワリードの狙いは経験豊富なベテラン兵が到着する前に先制する事であった。ワリードは17,000名の兵を率い、アシム・イブン・アムル・アル・タミミとアディ・イブン・ハティムに両翼を任せ、ササン朝ペルシア軍と対峙した。対するカリンはクバズとアノシャガンに両翼を任せ、川を背にして展開し、川岸には撤退を容易にする為の船団が準備されていた。戦いは以下の3つの決闘で始まった。最初に挑戦状を叩きつけたのはカリンであった。それに対しマカル・ビン・アル・アシがムスリムの前列に乗り出して来た。アシは熟練した剣士であったのでワリードは呼び戻す事はしなかった。カリンが敗れ、殺されると、クバズとアノシャガンが名乗りを上げ、アシームとアディがそれに応じた。何れもムスリムが勝利し、本格的な戦闘が始まった。ササン朝ペルシア軍は暫くは持ち堪えたが、上位の将軍を失った事で混乱し、纏まりを失った。最終的には川岸へ向きを変えた。この戦いでササン朝ペルシアは30,000名が殺害された。
①◯マカル・ビン・アル・アシ(ムスリム)vsカリン(ササン朝ペルシア)●
②◯アシーム(ムスリム)vsアノシャガン(ササン朝ペルシア)●
③◯アディ(ムスリム)vsクバズ(ササン朝ペルシア)●

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