【4月10日19時配信】片手で戦い抜いた言論戦 狼魔人日記 江崎孝氏を偲ぶ会 令和7年4月6日

Streamed on:
703

片手で戦い抜いた言論戦 狼魔人日記 江崎孝氏を偲ぶ会 令和7年4月6日

私が師匠とお呼びし約7年間インターネットテレビ番組でご一緒した江崎孝師匠が今年の1月10日逝去されました。
いつもユーモア溢れる鋭いお話で周りを笑わせてくれた師匠。
とても寂しく、でも実感がなかなか湧かない感じなのですが、師匠を慕っていた多くの方々と共に、江崎孝師匠を偲ぶ会を開催しました。

多彩なビジネスマンの人生が大転換

江崎孝氏は、貿易ビジネスで活躍する、トライアスロンが趣味のスポーツマン、おまけにオーケストラではバイオリンを弾く多彩な人物でした。
沖縄の有名ホテルで結婚式を挙げた時には新郎自らお祝いのバイオリンを披露したこともあったそうで、とてもハイカラで素晴らしい人生を歩んでいました。
しかし美食家であった氏は、還暦を過ぎたある日突然脳出血で倒れ、左半分が不自由となる境遇に見舞われることになります。

皆さんがこの人生の主人公であったならば、どうしますか。
大好きだった楽器の演奏も水泳ももうできなくなったら。

この人生の大転換に際し、加齢とともに隠居生活に入る人もいるかも知れません。

でも江崎師匠は一時塞ぎ込むことがあったとは聞きますが、そのような境遇から人生をさらに飛躍させました。

運よく利き手が使え、右手一つで世に言論戦を挑む

文才のあった江崎師匠は、若い頃『マルチ商法を斬る』と題した本を出版し、ベストセラーになったことがありました。外国から日本をターゲットにやってきた詐欺商法を世に告発したのです。
当時、この本は新宿の紀伊国屋書店の目立つ話題書のコーナーに平積みされていたそうです。

倒れた後、2004年ブログ“狼魔人日記”が始まりました。

沖縄の文化や、沖縄出身の活躍している若手を応援するブログを毎日書いていました。
その中で時に師匠が応援していた沖縄出身の女性がいました。
知花くららさんです。美人で知的で、準ミスユニバースにも選ばれた沖縄が誇る才女です。
師匠は大ファンとなり、ブログをあげて応援しました。

しかし、ここで沖縄でありがちなことが起きました。
青い海と綺麗な空、ハイビスカスが咲き誇る綺麗な沖縄は、政治の面においてとても暗い面があります。

その政治を動かす主人公を務めるのが沖縄のマスコミ。
そのマスコミは有名人を利用して歴史のプロパガンダを広める習性があり、知花さんも次第に歪んだ沖縄の歴史を発信するようになったのです。

師匠は、ショックを受けました。
そして沖縄の正しい歴史を発信していかなければと感じ、ブログの方向性がここを起点に、後に沖縄の言論を率いたあの“ブログ狼魔人日記”となっていくのです。

命を救ったブログ

沖縄の歴史を歪めるプロパガンダというのは、非常に根深いものがあり、敵も巨大です。沖縄の地元新聞2紙、琉球新報、沖縄タイムスはどちらがより左に傾くかを勝負しているようなイデオロギー色の強い新聞です。この2紙の論調と違うことを主張すれば、両紙あげての言論リンチが繰り広げられ、その犠牲となった人は数多くいます。

そんな被害者の一人が石垣市教育長となった玉津博克先生でした。当時、八重山地区の教科書採択は、左翼が独断で行なっており、毎回反日的な内容の教科書が採択されていました。歪められた歴史が書かれた教科書が組合の影響によって採択されていたのです。玉津先生はその状況を改善し、フェアなルールで様々な教科書を比較検討できる環境を整えました。そうしたところ地元新聞に“悪魔”として攻撃されることとなったのです。

リンチが起きた時、誰も周りは道連れになりたくありません。
口を塞ぐものが多いこの世の中で、唯一玉津先生をバックアップし応援したのが、江崎師匠ブログ狼魔人日記でした。
毎日続く、息も詰まるような恐ろしい新聞の攻撃の中、唯一の味方であるブログを読むことが玉津先生、そして奥様の心の支えになっていたといいます。

“軍命はなかった” 集団自決問題で日本の名誉を守った狼魔人

もう一つブログ狼魔人日記の功績として、記さなければいけないことがあります。それが慶良間諸島の集団自決問題です。

大東亜戦争の時、沖縄に米軍が上陸することを知った住民の間で悲劇が起こりました。逃げ場のない住民たちは、自分たちで自決を図ったのです。
集団自決はありました。しかし、新聞マスコミによって事実が曲げられ、“軍命による”集団自決として、日本軍悪玉説の目玉的出来事として宣伝されるようになったのです。
この詳細は師匠の研究の集大成『99%の国民が知らない沖縄「集団自決」の大ウソ 瓢箪(ひょうたん)から飛び出した「援護法のカラクリ」』を是非皆さんにお読み頂きたいと思います。出版記念講演会の動画もあります。

簡単に述べるとすれば、当時生き残った遺族が生活していけるようにと、慶良間守備隊の隊長達と合意のもとで、“軍命があった”ことにし、遺族に援護金が支給されるように図ったという事情がありました。

沖縄の住民達自らの自決では援護金はおりないが、これを“軍命ということにしておけば”、戦後援護金が家族に支給されるということです。

戦後の沖縄は焼け野原で本当に大変でした。
隊長は生き残った沖縄の人々がどうにか暮らしていけるようにと、苦肉の策で自分が悪者になることで協力したわけです。

隊長の犠牲精神に助けてもらった沖縄の人々。
これは戦争にまつわるドラマです。
しかし、この話が反日のプロパガンダとして利用されてしまうことになるのです。

そのプロパガンダの震源地となったのがノーベル賞作家大江健三郎(岩波書店:1970年)の著書『沖縄ノート』でした。
沖縄ノートには当時の座間味島での日本軍指揮官梅澤裕元少佐および渡嘉敷島での指揮官赤松嘉次元大尉が住民に自決を強いたと記述されていました。

月日が経った後、名誉を毀損したとして梅澤裕氏および赤松秀一氏(赤松嘉次の弟)が、名誉毀損による損害賠償、出版差し止め、謝罪広告の掲載を求めて訴訟を起こしました。

悪質なことに、この本には、梅澤隊長が存命であったのにも関わらずそのことすら歪められていたのです。

「梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」

この裁判が大江・岩波裁判と呼ばれるものです。

裁判の判決は複雑ですが、この裁判の功績として、集団自決の軍命の存在が『立証されていない』と判決文に書かれたという意味で、歴史戦で勝ちを得たことです。

歴史は正しく伝えられなければなりません。
この嘘によって、沖縄では我が国の戦争の大義がかき消され、 “反日本軍“の邪悪な憎悪が渦巻き、現代の国防意識にまでヒビが入れられたのです。

それを危惧し、さまざまな取材や、言論戦の先頭を切っていたのが狼魔人日記であり、師匠のブログが果たした功績は本当に偉大です。

日本人として生き方の手本を見せてくれた師匠

毎日、片手でパソコンのキーボードを一つ一つ打ち、巨大な悪の根源マスコミと戦ってきた師匠。そのコツコツとした言論戦で多くの史実を明らかにし、人の命も救ってきました。

「けしからんよ!」と社会の悪を叱責し、同じく歯痒い思いをしている読者やインターネット番組の視聴者に胸の空く思いをさせてくれた師匠。

どんな境遇でも、常に前進し、真実を伝え、人々を助けることに邁進する見本を見せてくださいました。

そんな師匠も大変残念ながら、自然の理によって遠くに旅立たられてしまいました。
師匠のブログ狼魔人日記はこれからも沢山の人々に読まれ続け、沖縄の言論を守ってくださることだと思います。

去る4月6日には沖縄県浦添市で江崎孝氏を偲ぶ会と題して、師匠に感謝と尊敬の念を抱く人々が集まり、思いを一つにする会が開かれました。

改めてこんなにも功績の大きい方だったと皆で尊敬の念に浸り、故人を讃える素晴らしい会となりました。
とても悲しく寂しいですが、師匠はいつまでも私たちの行くべき道を照らしてくださると実感した日でした。

多くの方々が駆けつけ素晴らしい思い出を披露してくださいました。
会場に行けなかった皆様に、当日の様子を動画でご報告したいと思います。

この報告文を書く為に狼魔人日記を色々読んでいたら、師匠の正義感や真っ直ぐな思いに触れて、とても心が熱くなりました。

私にとって永遠の師匠。
師匠、師匠の驥尾に付してこれからも頑張ります。

『99%の国民が知らない沖縄「集団自決」の大ウソ 瓢箪(ひょうたん)から飛び出した「援護法のカラクリ」』書籍電子化もされました!
https://amzn.asia/d/96VR35O

師匠の過去の演説を聞きたい方はこちら

4.18 普天間の固定化を認めない 一日も早い辺野古移設を進める市民大会 狼魔人日記 江崎孝
https://www.youtube.com/watch?v=4BQgA4ugEn8

「琉球新報の言論封殺の実態!」江崎孝 10・27沖縄マスコミ正常化推進大会 in 辺野古
https://youtu.be/9_JiKMJaEC8?si=2s388zBV_VxT2Ico

産経新聞 
右手ひとつ、反日と戦う
https://www.sankei.com/article/20231011-6RSETHFQRBNLHGUNSTXC7QP6EA/

「狼魔人日記」ブロガー 江崎孝氏の功績称える
https://www.worldtimes.co.jp/japan/okinawa/20250409-193778/

Loading comments...