水の一杯

3 months ago
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水の循環について語る中で、ゴードン・ウィルソンはこう記しています。
水は必然的に「私たち」から「彼ら」へと流れていくものですから、私たちが排出する水が、取り入れる水と同じくらい良質であるか、少なくとも人間、動物、植物にとって有害でない状態で使用されるように気を配らなければなりません。
私たちは水を汚すことにかけては非常に「優秀」なので、水が他者のもとに届く前にきれいであるように責任を持つことは、隣人を愛するという意味で極めて重要です。
水は神からの偉大な賜物ですが、私たちは皆、それを共有し、使用し、そして地域から地球規模で再利用しています。
私たちが与えられている支配の責任の一部には、水の管理も含まれています。というのも、すべての命がそれに依存しているからです。
聖書にはこうあります――
「この小さい者たちの一人に、弟子だからという理由で冷たい水を一杯でも与える者は、まことに言っておく。その人は決して報いを失うことはない」(マタイ10:42)
考えてみてください。その人の無責任な行動によって、その水の一杯が飲めないものになってしまったなら、その人は報いを失うことになると私は思います。
私たちの社会全体のレベルで、その「水の一杯」が飲めるかどうかを評価することは、神学的に見ても、それほど危うい立場に立っているとは思いません。
ゴードン・ウィルソン著『A Different Shade of Green(別の緑のかたち)』より(69〜70ページ)

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