普甲寺の乱戦で、負けたと誤認し、九日城に退却して物笑いとなった垣屋出雲守

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西暦1,471年4月23日
九日城の河向かいに布陣していた山名頼忠が、九日城を攻める。山名に味方した奈佐太郎は、富辺羅山に布陣し、一色信長を支援した以下2名を挟み撃ちにした。
①垣屋宗忠の息子垣屋平右衛門尉
②垣屋出雲守
垣屋氏は、富辺羅山を集中的に攻め、此れを破った為、山名は退却した。平右衛門尉と出雲守は反撃に転じ、山名を普甲寺に押し返し、以下を破った。
①武田信賢
②天竺賢実
此の普甲寺の戦は乱戦となり、出雲守は、戦線が勝っていたにも拘らず、負けたと思い戦線を離脱して九日城に退却し、物笑いとなった。九日城には、山名宗全が、家臣であった宗忠と共に、孫の亀王丸を養育しながら住んだ。

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