富樫政親が大叔父の富樫泰高の攻城により高尾城にて自刃

2 months ago
14

西暦1,488年7月15日
6時、富樫泰高率いる一揆方が高尾城を攻撃する。富樫政親率いる1,500名の軍は、大手門は松山左近、搦手の額谷口は森宗三郎を其々守将とし、以下の人間等が将兵を指揮した。
①斎藤八郎
②安江弥太郎
③小早川半弥
④新倉将監
⑤浅井九八
政親方の本郷春親は、部下を率いて河合藤左衛門の部隊を攻め、河合を討とうとした。しかし河合は先陣には居らず、代わりに伊藤久内が本郷を捕縛した。其処に、春親の息子本郷松千代丸が攻め出て伊藤を斬殺したが、木村八郎九郎と組み打ち、木村に捕縛された。政親方の小川隼人成定は、寺井豊後の部隊を攻撃し、寺井の息子を斬殺した後丘に登って休憩していた所、矢の雨を浴び、斬首された。昼に休戦したが、政親の軍は以下の人間を始めとする200名余の戦死者を出した。
①本郷春親
②額景春
③額親家
④林正蔵坊
⑤正蔵坊の弟林六郎二郎
⑥高尾若狭守
⑦槻橋弥次郎
⑧斎藤彦八郎
⑨安江
⑩安江三郎
⑪宇佐美八郎左衛門
⑫山田弥五郎
⑬広瀬源左衛門
⑭広瀬又七
⑮徳光次郎
⑯松本新五郎
⑰阿曽孫六
⑱霜田伊豆坊
⑲奈良与八郎
⑳松原彦四郎
㉑多田源六
㉒石田帯刀
㉓和田次郎三郎
㉔越前国の溝口兄弟
㉕越前国の一木兄弟
㉖松千代丸
㉗板倉喜内
㉘森勝介
㉙岡豊後守
㉚佐々木志摩助
㉛柏原与市
㉜古沢勘七
㉝同朋衆の知阿弥
政親の家臣57名や城兵達は、高尾城からの脱出を始めた。山川高藤は、政親の妻巴を一揆方の光徳寺(現在の石川県金沢市玉川町)と申し合わせて、高尾城から脱出させた。此れは、山川の妹おわんが、一揆方の安吉城(現在の石川県白山市安吉町)主大窪家長に嫁いでいた事から実現した。又山川自身も、政親を裏切り高尾城から脱出した。

一元化 公式HP
https://uc-4.com/

Loading 1 comment...