足利義尚の葬儀で咽び泣く日野富子

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西暦1,489年4月26日
10時、足利義尚が、近江国鈎の陣中にて死去する。水と酒しか受け付けない状態であった。義尚は臨終に際し、足利義政に対し以下の辞世の句を詠んだ。
①ながらへば人の心も見るべきに露の命ぞはかなかりけり
(もし長く生きる事が出来れば、他人の心も良く見極められる様になるだろうに、露のような命は儚いものだ)
②もしほ草あまの袖師の裏波にやどすも心あり明の月
(藻塩草が海人の袖を濡らす裏波に宿るように、心にも有明の月のような明るさがある)
③出づる日の余の国までも鏡山と思ひしこともいたづらの身や
(昇る日の向こうの遠い国々までも、鏡山の様に美しいと思っていた事も、結局は無駄な身の上だった)
遺体は以下2名に譲られ、凱旋将軍の様な隊列で以って京都に帰還した。
①細川政元
②日野富子

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